害のない人間が一番得をする。

何にもしたくないけどしてる感は出していく

気持ちが入っている(ように見せる)事を「スイッチを入れる」と言う

今月結婚式と葬式に行く機会があった。

結果、私にはどっちもいらない。

 

どっちも常識的にしなければいけない空気だったりするし、しないと「お世話になった人たちに失礼」みたいなこと言われるのは心が痛む。多分実際にする立場になったら黙ってするんだろうけども。この歳になると「知っていて当たり前」になるし、「ちゃんとしていないと」厳しめの評価を受けるようになる。

外面関係なければ行きたくない

参加するのは別に問題ない。

いや、多少なり問題はないことはないけど妥協できる。内心疲れるし非常に行きたくないけど会社関係が面倒なのもあって今後のリスクを考えると行っとくか…になる。

 

一番困るのが「人間関係がよく分からない」こと。

まわりにあまり興味がないので距離感分からなくて非常に疲れる。こそこそと知り合いに関係性をヒアリングしながら、今後接点がありそうな人へとりあえずご挨拶しておく。

 

結婚式では知らない人や仲良くもない知り合いに辟易しながら、ニコニコして当たり障りない会話をして、「おめでとう・うらやましい」などの声かけと新郎新婦親族を褒めちぎって事なきを得た。

テンション無理やり上げていくのも疲れる

葬式では身内をなくした親族の気持ちを慮る行動もできないし、そういった時にかける気の利いた言葉も思いつかないのでまわりの様子を伺いながら、黙って会釈とgoogle検索で乗り切った。

必要な人には本当に必要なことも分かっている

これを実際に執り行う側で考えたら気が遠くなる。

 

したい人はすればいい。しない人は放っておいて欲しい。

するしないの理由をしつこく聞いてどうするの?

言ったら代わりに何かしてくれるの?

善意でしてくれるそのアドバイスは地味にプレッシャーなんだ。

 

人付き合いは可能性を広げるし、お互いのメリットもある。縁って大事だなと思うこともよくある。ただ私にとってはそんなに広い関係性は必要ない。本当に好きな友達と私のために心を砕いてくれた親類、自分の気持ちに余裕がある時にはそれら+αにたくさん気持ちを注ぎたい。

 

親友の結婚式、すごく世話になった先輩の葬式には準備も苦じゃなくすぐに駆け付けて普通に泣いた。気持ちがないわけじゃないけど、”絶対量”が少ないんだろうと思う。